こんにちは!
PCで、何かをするのが大好きなイチです。
26歳で脱サラし、現在は平凡でありながら、とっても幸せ?に過ごしている2児のパパです。
脱サラして独立起業するまでの、自分の不安や苦悩をまとめたり、起業の準備やマインド?なんかを自分の経験を踏まえながらブログに書いて行こうと思います。
このブログは
これから起業したい! 脱サラしたい!
そんな想いを抱いている方へ、勇気を感じて頂けたり、時には不安を解消&軽減して頂けたりするような、そんなブログを目指してます。
このページでは、わたしの脱サラ経験を交えながら自己紹介させて頂きます。
起業しようと決めたのは小学生のとき?(笑)
私は幼い頃からまったく勉強ができず、両親はわたしの将来をとても悲観する幼少時代を過ごしてきました。
自慢することじゃないのですが・・・
中学に入り、地域の学力テスト(都道府県単位の同学年一斉テスト)で、私の住む○○県の同級生数千人中、私は下から2位と言う驚異的な成績を出しました。
ビリから2番目・・・(汗)
今思えば虐待なのかな?と思えるほど父に叱られ、手を上げられた経験もあります。
※愛のムチと受け入れていますよ。
そんな私ですが、何故かその頃から、私には得体の知れない自信と夢がありました。
その得体の知れない自信と夢は、小学校の卒業アルバムに、しっかりと記されています。
卒業アルバムの後半に将来の夢と題して、クラスのみんなが思い思いに、将来なりたい職業などを作文にして書くページです。
あなたも、きっと書いたことがありますよね?
ただですね、私の得体の知れない自信が記されているのは確かなんですが、決して作文と言えるようなものではありませんでした。
だって、2文字しか書いて無いんです。
普通、作文ですから原稿用紙の半分くらいの文字数でも200文字程度は書きますよね?
原稿用紙1枚分としたら350文字から400文字程度を目指して書きますよね?
ですが・・・
当時の私は、2文字書いて終わらせているという、本当にバカで、どうしようもない奴でした。
それなのに得たいの知れない自信家であることだけはしっかりと表現されていました。
私の将来の夢・・・ あなたは何だと思いますか?
もったいぶっても仕方がありませんので、お伝えします。
それは・・・
「社長」
↑これだけです。(笑)
勉強も出来ず、出来ないので余計やる気にもなれず・・・
小学校を卒業してから、更に私の学力はどんどん落ちこぼれて行きました。
中学、高校・・・
私は、そんな自分が高校を卒業できたこと自体が、とっても凄いと思っています。
結局、社長!と勢い良く書いていたのに、流されるように関東の会社へ就職しました。
就職して気づいた1つの大きな不安
社会人になり就職できた会社で1年間、働かせて頂いた上で、一つ大きな疑問を持ちました。
それは・・・
わたしの人生は、この先どうなって行くんだろう?
先輩や、勤続年数10年以上の上司を見渡しても、将来自分が、目の前に居る先輩や上司のようになっていることをイメージしたとき・・・
先輩や上司には申し訳ないけど・・・
決して安心したり、納得のできる答えとは思えなかったのです。
この時、私は得体の知れない自信から描いていた夢の「社長」を目指してみようと思いました。
完全フルコミッションの営業マンへ転身!
初めて就職した会社を2年と数ヶ月で退職させて頂きました。
貯金も無し、人脈も無し、学力も無し、作文も2文字しか書けなかったバカな私は、無謀にも唯一表現できた「社長」という夢を目指して進むことを決意して・・・
けれど、どんな業種で起業しようか? なんて全く考えていませんでした。
少しだけ、
・軽トラックの赤帽? 運送業者でもやろうかな?・・・
・死体洗いの専門業者とか、起業ニーズあるかな?・・・
・鍵の救急車とかどうだろう?・・・
↑こんな程度には考えたことはありましたが・・・
でも、とにかく社長になれるのなら、仕事の内容なんて何でも良かったんです。(笑)
そんなわたしでも、ただ一つだけ当時真剣に考えた事がありました。
それは、どんなビジネスを行なうにしてもお客さんが居なければ、どうにもならないって事でした。
この疑問と不安の答えを見つけるために、私は集客の技術を習得する必要があると考えました。
そう考えた当時は、今から30年程前ですので、インターネットでどうの、こうのと言う発想はありません。
逆にインターネットは怪しいと思う気持ちの方が強かったように記憶しています。
そんな訳で私は、学歴も無く、お金もないので、気合だけで、完全フルコミッションの営業会社を探して転職しました。
目的は、飛び込み営業、集客の技術を習得するためです。
今思うと、この時の決断はとっても良かったなぁ~と思っています。
しかし、再就職した営業業務といったら・・・
とても過酷で・・・
辛くて・・・
毎日辞めたくて・・・
今日頑張ったら明日辞めよう! そう自分に言い聞かせ、一日一日と戦い、なんとか4年間続けることができました。
そして、とうとうわたしは、お世話になった営業会社を退職させて頂きました。
退職を決意した理由は、集客、営業という業種を経験して、私はお客様を獲得する営業マンとしての自信を持ったからです。
得体の知れない自信を、まずは一つ経験の有る自信に変えることができたので、完全フルコミッションの営業という仕事を一旦終えることにしました。
でも、独立・起業するネタはまったくの0のまま・・・
チャンスは突然やって来る!?
つぎの勤め先も決めずに、いきなり退職しちゃったので、生活がままならず・・・
あっさり、私は地方の実家へ帰ることを決めました。
生まれ育った、無条件で愛着のある土地。
安心できる近所の人達の顔。
成人して数年も立っているわたしでも、やはり近くに両親がいるという安心できる場所で人生の再スタートを切ろうと思ったので・・・。
↑たてまえはネッ!
実際には、起業の準備等をしている際に、家賃や、食費などをケチれるといった気持ちもあった・・・、むしろ、そっちが大きかったかもしれませんが・・・(笑)
その後、いざ実家に帰っても起業ネタは決まらず、思いつかず・・・
だらだらと1日1日が過ぎていきました。
実家に帰ってから3ヶ月程たったある日、父と朝食をしていた時の事です。
父が何気なく、私に言いました。
「うちの会社のパートさんがね、定年したら人の役にたつ仕事をして、少しでも良いから、それでお金が貰えて、年金の足しにでもなるような、そんな仕事がしたいなぁ~」
って言ってたんだけど・・・
父のこの一言に、私は後頭部を大型ハンマーでたたき付けられたような感覚になりました。
私は実家に帰って、起業したい、社長になりたいという気持ちを持ってはいたものの、目先やる事が無く、テレビのニュースばかりみていました。
その見ていたテレビで知っていた内容として、丁度その年(平成12年)日本では少子高齢化問題を抱えて大きな社会保障制度の打ち出しとして、介護保険制度をスタートさせた年だったのです。
私は父に言いました。
「人のためになる仕事でお給料が貰えるって凄くいいよね。
もしかしたら、今年始まった介護保険制度ってどうなんだろう?」
暫く、父と二人で介護保険制度について、お互いの知っている知識を頼りに話し合いました。
結果、私が日中暇なので、介護保険制度って具体的にどんなものなのか?調べてみる約束をして、朝食を終えました。
その後、介護保険に関わる内容をたくさんネットサーフィンし調べ、気が付いたら厚生労働省の介護保険法に関する法律を大量に印刷して読みふけっていました。
介護保険制度に物凄く、のめり込めたのには訳があります。
つまり、、、僕でも参入できるかも?
と、私の頭の中は、なった訳です。
この時をきっかけに、私の人生の大逆転劇はスタートしました。
寝る間も惜しんで、介護保険法に関わる法律書に目を通しました。
自分が参入できそうな介護サービスは無いか?
お客様に喜んで頂けて、所得を得られる!
まさに、最大・最高の仕事じゃないのか?と・・・
いよいよ念願の独立・開業へ!
翌年2001年 私は個人事業主として、屋号を立て、本来やらなくても良いのですが、管内の税務署へ個人事業主の開業届けを提出してきました。
自分の気持ちをしっかりとするために。2001年8月1
さらに翌年2002年 事業も順調! 当時資本金制度300万円の工面ができたので、有限会社を設立し、法人化しました。
2003年 初めてハローワークに求人を出し、初めての社員(経理・事務員)の採用経験をしました。
その方が、今の私の奥さんです。(笑)
それから、年々お客様に喜んで頂きながら、少しずつ会社は成長し・・・
当時26歳で始めた、わたしの法人は、今年17周年を迎えます。
ここでは、私の人生で唯一の…
たった一つしかない成功ストーリの起業話を書かせていただきました。
最近のわたしは
これまでの経験を元に誰かの役にたてる方法はないかな~?
そんなことを考えることが多くなって・・・
そこで、出会ったのがブログです。
そう、このブログです。
ブログで、わたしの過去のチャレンジしてきた事や経験を交えて書くことで、わたしの生きた証にもなるし・・・
ちょっと大げさ?
そして、もしかしたら、誰かの役にたつ情報になるかもしれないし…
そんな思いで、ブログを始めることにしました。
わたしのプロフィールをお読み頂いた方へ
ここまでお読みいただいた、あなたに深く深く
お礼と感謝を申し上げます。ありがとうございます。
私の発信する情報が、サイトを訪れて下さった方へ少しでもお役に立てるよう頑張ります。
どうぞよろしくお願い致します。